« めだか★また引越し | トップページ | 天達に »

2006.10.09

田原坂とか

8月に祖母が亡くなって以来、以前よりも頻繁に祖父の様子を見に行くようになったオレサマである。
最近では『奥さんがいなくなったから小奇麗にして出会いに備えなきゃ♪』とか、こっちがタマゲルような冗談も言うようになった(笑)
ので、妻の死につられてポロッと死んでしまう危険は回避出来たかな?と思うのじゃが、なんと言っても100歳6カ月である。いつ亡くなっても不思議ではない。てか、いつ会話が成立しなくなっても不思議ではない。
ので、今の内に思い出せるだけの昔話を聞き出しておかねば!と思って、祖父を訪ねる度にアレコレ話してもらっちょるのよ。
そしたら、このブログを始めた頃にアップした曾祖父に関する記事『幕末ウチ史』と、大叔父に関する記事『それってラマン?』を補足するネタも出てきたので、備忘録も兼ねて以下に箇条書きするだよ。

●曾祖父ちゃんネタ●
・曾祖父ちゃんが官軍に応募する為に名前を借りたのは、福岡の知人ではなく→久留米の知人。
・曾祖父ちゃんは、多数の死傷者を出した田原坂の戦いにも従軍したが、とくに負傷もせず生きて帰ってきた。が、西南戦争終結後、田原坂付近に建立された戦死者名が刻まれた慰霊碑(現在、田原坂公園にある超立派な慰霊碑とは別物)に、曾祖父ちゃんの偽名、つまり拝借した久留米の人の名前も刻まれていたらしい(笑)

●大叔父ネタ●
・大叔父が出征したのは日露戦争ではなく→明治末期に中国で内乱(辛亥革命か?)が起き、現地にいる日本人保護の為に日本軍が派兵されることになり、それに徴兵され→従軍したのが正解。
・大叔父が徴兵を逃れる為に国外脱出を計画した時、当初は1908年から本格開始されたブラジル移民に応募するつもりであった。が、次の移民団が日本を発つ前に開戦してしまいそうだったので→すぐに出発出来るニューカレドニア移民に変更した。
・ニューカレドニアでの大叔父の仕事はニッケル鉱山の工夫の監視係。当時、ニューカレドニアはフランスの流刑植民地であった為、ニッケル鉱山では多くの流刑者が強制労働させられており、その監視係が足らず(ていうか物騒なのでなり手がなく)日本でも監視係の募集が行われていたそうじゃ。
・大叔父は長男であった。当然、父である曾祖父ちゃんとは移民するしないで揉めて不仲になった。ので、鉱山で稼いだ金の一部は母である曾祖母宛に送金した。のだが、曾祖母ちゃんは大叔父がニューカレドニアに発って2年後に亡くなってしまった。曾祖母の死を知ったらアイツは送金しなくなるだろうから、大叔父には曾祖母の死を知らせるな!と曽祖父は家族に指示(笑)したが、誰が知らせたのか大叔父にバレ、送金はパッタリ止んだそうじゃ(笑)
・日本に送還された時、日本到着直前まで同船者の誰も敗戦を知らなかったワケだが、明日、米軍が乗船してきて船内をチェックするから部屋を片付けておくように!と船長からのお達しがあり、そこで初めて敗戦を悟ったそうじゃ。
・入港したのは横須賀じゃなくて浦賀。
・終戦後、同じ船で日本に送還された中の1人がニューカレドニアに戻ることになり、送別会が行われたそうじゃが、もう日本に戻ることはないだろう、これが日本酒&日本食の飲み食べ納めだー!と痛飲暴食した結果、その人はその場で倒れ、そのまま帰らぬ人になったそうだ。プッ

|

« めだか★また引越し | トップページ | 天達に »

わたくし事」カテゴリの記事

幕末・戦国」カテゴリの記事