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2004.02.27

それってラマン?

CDTVをご覧のみなさんこんばんわ。
本日は、幕末ウチ史を祖父に聞いた際に、ついでに出てきた祖父の兄さんのお話です。

日露戦争に出征し戦争の凄惨さを目の当たりにしてきた大叔父。日本が再び戦争に傾いていくのを感じると、戦争はもうぜったいイヤだ!オレは召集令状の届かないトコロに行く!と宣言。
で、ニューカレドニアのなんとか鉱山での仕事を見付けてくると、第一次大戦が始まる約1ヵ月前にホントに日本を発ち、ニューカレドニアでの戦争知らずの日々を手に入れた。

で、鉱山の仕事で小金を稼いだ大叔父は、見よう見真似で町中にカフェを開きフランス人の少女を養女にした。
??????????
貯まった金でカフェを始めた、は、分かる。
で、フランス人女性と結婚したってんなら分かる。が
大叔父さま、あなた………?(笑)

で、のんびり暮らしている内に、今度は第二次大戦勃発。
ニューカレドニアはフランス領だから、日本人は収容されてオーストラリア送りになった。
脱走してもすぐ見つかるように、捕虜は真っ赤なウールの上下を着せられていたそうだが、労役は1日2回農園のスプリンクラーのバルブを開け閉めするだけだったらしい。

ほどなく終戦。
日本に送還される事になり船に乗せられたが、情報から隔離されたのほほん捕虜生活だったものだから、船に乗っている日本人の誰も戦争の経緯も勝敗もロクに知らない。
で、なんか変なウワサもあるけど、こうやって普通に日本に帰してくれるって事は日本が勝ったってことでしょ、と決めてかかっていた。ら、船が日本に近付いたらアメリカ艦艇が迎えに来たので、そこで始めて、え?なんで?なに?日本負けたのー!?となったらしい。

で、横須賀にて上陸解散。
故郷へ向かう道程は、真っ赤な上下を着ているせいで、サンタクロースやーい!と子供に囃されっぱなしだったそうだ。
んで、約30年ぶりの故郷に着いたのは夜。
明かりもなく記憶もあやふやで、実家は確かこっちの方と彷徨っているうちにお堀に落ち、あやうく溺れ死ぬところだったらしい。

大叔父曰く「罰が当たった」。

ちなみに、ニューカレドニアに残してきたフランス人養女さんはカフェを続け、時々お金を送ってきてくれていたらしい。

以上、ある意味夢を叶えた男の話でした。

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